今年は瞑想三昧の年でした。
年明けに初めてクンブメラというインド最大のお祭りにヨグマタ師の弟子として参加したり(本当にすごかった…!!)
それから大き目の研修を8ヶ月ほどにわたって受けたり
秋口には何回目かのディクシャも受けました。
そして私生活では8月末に結構なアクシデントがあったりして
この先の自分の仕事と生活について考えさせられたりしました。
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↑今までの生き方がこう。場当たり的にやってみて合わなくてメンタル不調…。でも瞑想を始めてこんなふうに早く判断できるようになったってことですかね。もはや『本質』に時間を割かなくてはと心底思うようになった。急がなくてはいけない。
もちろん年の功もあるし、仕事に関してはこれ合わないなと思ったらある程度判断して断ったりもしてます。けど今回は、仕事云々ではなく家の都合で道場での研修を受けられなくなったら…
そういうときどうしたらいいのかなと(何しろ浄化力がすごくて研修を受けるとものごとが不思議と解決するんですよ…✨だからいつも安心して過ごせてた)。そこに激しく動揺したのでした。(ちなみに父は検査の結果全く異常なし。寝不足がたたったっぽいという結論に達しました)
これは、いよいよ私が長年自分の性質として苦労してきたものが表面化したんだと思います。
自分のこの「一縷の望みをかけたこの生活が崩れたら」という思い込みをどうやって溶かしていったらいいのかなと。心(の妄想)に繋がらず自分(魂)を完璧に信頼するには?
本当の願いというものは実現していく。それを遮っているのがエゴやら心の曇りな訳で。この曇りをとっていくことがヒマラヤシッダー瞑想の浄化力の凄さなのです。研修だけでなく、瞑想を取り入れたこの普段の生活でもこれを常に心がけねば!と感じました。
このサブブログを始めたのもその気づきがきっかけで
「生活のことを計算せずに運を天に完全に任せる」という方向に舵を切ったのです。
もちろん今までも十分運を天に任せて生きたんですが(就職もせず)
それは自分のやりたいことをやるため、好みの範疇でしかなかった。
それを、世の中の、真理を必要としている方へ向けての純粋な思いからアクションを起こそうというものです。
トーシャの本、つまりヨガによるといずれにせよ「天が面倒を見てくれる」ので心配はない。ましてやシッダーマスターのディクシャを受けているのだから尚更。
「天が面倒を見てくれる」のは今までももちろん経験がありました。思い起こせば全て面倒を見てもらっています。チベットで本格的な瞑想を習いたいと焦がれたときから、長い年月を辿ってヒマラヤシッダー瞑想へと導かれ、そして過去にチベットで体験した神秘をヨグマタジ(※)が少しずつ明かしてくれているとは過去の自分からは想像もつかなかったシナリオです。
(※ジ=敬称)
しかし、いくら運命からよくしてもらっても自分の内面的にはどうだろうか?
私には「自分の生活スタイルを守る」という強い心の癖があります。
それは私そのもののように振る舞っていて、自分と強固に一体化している観念だと感じます。
瞑想を進めるにはこの観念を捨てる訓練が必要で、その序章がついに始まったのだと思っています。
今まで読めていた本が読めなくなったのはそのサイン。
今年はクンブメラにも行けたし大きい研修も無事受けることができた。8ヶ月ほどに及ぶこの研修が終わった途端、「こと」が起こったのは偶然ではありません。「もうそろそろ本題に進むことができるでしょう」と言われてる気がします。そしてディクシャをもらっているんだから安心安全に進めることができるはず。そう、己のエゴが騒ぐ以外は。
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昨日、寝坊したり作業が進まなかったりして自分の不甲斐なさにしょんぼりしてたらこの動画に会いました。
「瞑想の研修を受けられない状況になったらどうする?」その自分の思い煩いについて師が話していたので食い入るように聞きました。
修行しても修行したときだけですから
24時間(源を)思ったらそういうもの(祝福)をいただける
そうやって源の力に一体になっていくことはカルマを超える…
お給料をもらってではなくて
お給料をもらわないで良い行為をする
良いエネルギーをシェアしていく
そうするとカルマがどんどん浄まっていく
みんなに愛を与えるというのが人生の目的ということで
悟りを目指すということで
それが修行になっている
ヨグマタ相川圭子 YouTube動画【カルマとは何か】https://www.youtube.com/watch?v=txPajZq0mSg
ちなみに、ブレッシング(祝福)は悟りのマスター(ヨグマタ)が最強なのです。ブッダもそうであったようにただともに座しているだけで自分のこだわりが溶けていきます。不思議な感覚です。この祝福を受け取れる体質にするために、天を信頼し利他行などを行うのです。
【行為は全て捧げる】
これが今やろうとしていることとリンクしてハッとなりました。
そんなことできるわけないとエゴが騒いでも、もはや生活をかけた半ば実験のような気持ちで、そこから湧き上がる不安の声を横目で見つつ…『軽率ではないか?今やろうとしていることは自分(エゴ)の都合じゃないか?ちゃんと愛から行動できてる?』と道を確かめながら進もうと思うのでした。