真理の片鱗に触れる

私が育った家は日本によくある一般的な核家族
法事やお墓参りにたまに行くくらいの宗教とは無縁な家だった。

それでも昔から仏教にはわりと興味があり
ティクナットハンの訳した般若心経に感銘を受けたりしていた。
なぜ仏教なのかというと 哲学的だったから、というのがあったと思う。
訳された般若心経は実に腑におち読みやすく、「神」にいちいち言及しないところが心地良かった。
つまり宗教というより
アドラー心理学ユング心理学、仏教や禅の思想など
「自分を内観するもの」にはもともと興味があったんだと思う。

一方で
その仏教もいざ自分が超本格派であるヒマラヤシッダー瞑想を始めてみたら実はインド哲学の一部分であることを知ったりして(昔読んだその般若心経とかまさに)
仏教はインドでのヨガ(インド哲学)の「神」の部分をきれいに取り除いた教えである、ということも知った(仏教はブッダの死から500年くらい後に弟子たちによってまとめられた教え…そこからまた大乗とかに発展していった。追記:また、「取り除いた」とはそういう時代があって当時もめた歴史があるという意味 : 観音さま、如来密教の神々=ヒンドゥー教の神々、などもあり一概には言えない。また神仏で言うところの「仏」は神のことではないという意味合いを指す)。そして「神」を取り除いたがためにインドでは廃れてしまった、という…。

取り除いたという表現が合ってるのかわからないけど、とにかくキリスト教イスラム教、ヒンドゥー教などの他の宗教のように「神」自体にあまり重きを置いていないという印象がある(私の勝手な印象です)。
それでも日本には神道があるので、神社で神さまをちゃんと奉っているというバランスの良さがあると感じたりもした。神道はそこらへんがヒンドゥー教と似ているとも感じる…寛容的なところが。


それで、話を戻すと
瞑想を始める前までは特に宗教的な「神」を意識することなく育ったけど
実は私は「自分の中の神」に今までに2回出会っている。ヒマラヤシッダー瞑想を始めるよりずっと前に。
一度目は20代でチベットに行ったとき。二度目は30代で燃え尽き症候群になったとき。
30代での自我の機能が著しく低下したその時期に、自分の中の「神」的なものを見る不思議な体験をした。
そしてその数年後、ヨガの本に出会い「大いなるもの」にサレンダーした結果、この世界の秘密の片鱗に触れる体験をしたのだった

こうした体験や、仏教でいうところの仏性(自分の中の神性な意識)、ソニアショケットの本にあった「実は私たち神様なんだって」という会話、トーシャシルバーの書いているヨガの本でいう「あなた(神)は私であるとわからせてください」という祈り…


これが「なるほどー!!」と全て一致したのが
この本にあった説明なのです↓
◆瞑想のすすめ


・本の中のイラスト模写

・本からの抜粋

光輝く玉があると想像してください。これは「本当の自分」です。
これは誰の中にもある「魂」(純粋意識)と言い換えることもできます。
光り輝く「魂」(純粋意識)は、すべての創造の源である神とつながっています。つながっているので、神そのものであり、神の分身と言ってもよいでしょう。
神、つまり創造の源から人間は送られてきました。
そして、様々な体験を通して、成長していくのが人生です。
しかし、成長する一方、人間は欲望によって常に心と体にストレスを抱え、苦しんでもいます。

この本を読んだのは入門してから。なので2019年以降です。
それ以来何度か読み返してるけど、当時は分からなかった箇所が今は分かるようになっていたりする。
簡素に書かれているので、さらっと読んで気に留めていなかったりするんだけど、例えばこの「曇り」一つにしても非常に深い。そして曇りがあるままで生きるのは大問題なことだと知った。あることがあってこれを実感したのが去年の秋くらいなのです。瞑想を始めて6年、本当にようやく…。

ヒマラヤシッダー瞑想をやる前の自分は「曇り」を作って生きていることとか「欲望」で自分を汚しているとかそういう感覚は全くなかった。
どちらかというと自分はあまり欲がない方で、そのせいですごく生きにくいと勘違いしているぐらいだった。

例えば、昔テレビでやってた「オーラの泉」というスピリチュアル番組があったけど、この番組がやっていた頃は「だから〜、前世のこととか知ってどーすんの?なんか意味がある?」って思っていた。
前世とか守護霊さんがこう言ってるとか、それで過去にその遂げられなかった思いを解決するために生まれてきても、今まで通りこの世に縛られていることには変わりない。また次の問題が出てくるし「生きなくてはいけない」ということの答えになっていない。なぜ人は生まれてくるのか。守護霊さんのことばっか言ってないでそもそもの原因を教えてよ。なぜこの世の仕組みを誰も知らないの?そこがわからなかったら意味なくない?と感じてたんですね。


それが、ついにディクシャをいただきシッダー瞑想をするようになって理解した。
つまり、人は悟るために生きているんだ と。
望もうと望むまいと悟りを得ない限り人はずっと生まれ変わる。本人が生まれ変わりたくないと駄々をこねても、そこから抜けるには…輪廻転生を終わらせるには…悟るしか方法がないんだ、と。


生まれ変わった先が良い環境であったらいいけど、もしそうでなかったら…?今世はよくても来世は? たとえ世間的に成功したとして、それが人のためではなく我欲だったら…?いいも悪いも全てが同じ質量でブーメランで返ってくるのがカルマ。目に見えること、時代の価値観でのみ生きると物質主義に傾倒しすぎな今の日本では誤った道へ行く可能性が高すぎる。
だとしたら世間的な成功よりも霊性の道を選ぶべき。(特に私みたいにやりたいことがよくわかってない人間はそれがベストに違いない)
今味わってるカルマというのがその答えだし、そのカルマを浄化して悟りの道を進んでいくために生きなくては今生を無駄にしてしまう、と思った。


ヨグマタ先生のとこに入門してようやく生まれてくることの意味がわかって
それで細々したスピリチュアルな情報がちゃんと「意味のある情報」として選別できるようになった。(実を言うとそんな情報は何もいらないんだけど…むしろ邪魔というか。それくらい悟りのマスターのエネルギーは完璧。けど他の人に説明するために私の経験を伝える必要もあるということで)

そして、「欲望」というと人によってはわかりにくいかもしれないけどつまり、「委ねる」とか「捧げる」とか…そういうふうに手綱を離し天を信頼し任せる行為ができない、あるいは来てもいない未来の心配をしてそれに振り回される、そういうことこそが「欲望」であり「魂」に曇りを作っている、ともわかった。
人事を尽くして天命を待つとはよく言ったものです。


ヒマラヤシッダー瞑想ではこの曇りを取り除いていく瞑想修行をしていき、その結果いろんな浄化が起こります。運命が好転していくのはそのせいです。
私が体験した「曇り」や「浄化」もこのブログで紹介していく予定です。いずれ…


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さて、 ヒマラヤシッダー瞑想の教えであるヒマラヤ秘教とはヨガのルーツ。インドの哲学の源流。
ヒマラヤ大聖者はブッダのように悟りを開いたセイントであり、古来からインドの修行者の憧れの的であり頂点です。
ヒマラヤシッダー瞑想を始めてから、精神論ではなく、ヨグマタ先生から降り注がれる実際に感じるエネルギー、そして実際に起こる不思議なことに驚くばかり。物理量子学とかエネルギーとか神秘とか叡智とか…目には見えない世界が本当にあることを体感しています。

私たちの中には物質の部分もあるし

さらにそれを司り

私たちにエネルギーを与え生かしめている「魂」があります

それが神と繋がっているんですね

私がその神と一体になったので

シャクティパット(ヒマラヤ大聖者からのタッチ)をすると

そこに繋がることができて、みなさんに奇跡が起きるんですね

信じることですごく奇跡を呼ぶことができます


【奇跡は実在する】深い意識が変わると現実が動き出す。ヒマラヤ大聖者が語る神秘の力 ヨグマタ相川圭子公式サイトより
https://science.ne.jp/blog/9034  

こんなに貴重な体験をさせていただいてるんだから内側を汚さず清めていこう、と自分の意識もここ数年でかなり変わってきました。
そして去年のクンブメラから「神」に対する愛が溢れてとまらなくなったり。

以前にはなかった平和が確かに自分の中に鎮座しているのを感じるのでした。

次回は「外側の神」の話を書こうと思います。